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一体『横山学考』の進捗はどうなっていますか(山口県文書館に行った)

こんにちは。2月12日です。はっぴば~~~す。

先月の下旬に島根~山口~福岡をうろうろしていました。

行程と見たもの

六代前より古い先祖がいたところを見るのが主な目的でしたが、それに付随して『横山学考』の制作に必要な資料を見に山口県文書館へ行く、という用事も旅程に組み込まれました。旅程はややずれを伴いながらぬるぬると進行し、文書館へも無事に入りました。

『横山学考』では何を書きますか

2021年2月13日に本ブログ上で生やした記事「【遅刻】横山へ行く」で、青森県南津軽郡町居村の小字である横山(現・青森県平川市町居横山)を取り上げました。

39ml.hatenablog.jp


『横山学考』は、この記事の内容を1000%くらいに膨らませる予定になっています。

横山にあった2つの小学校を通して、町居村の周辺にあったワチャワチャや、町居のくらしについて考えることになるはずです。


記事中では、現在の平川市町居横山を訪れ、”横山”の文字を記した看板類を探索しています。実地調査では、①平田森分校跡地の碑 ②経営安定所得制度が適用されることを示した水田の立て札 の2件において”横山”を発見し、目的は無事に果たされたのでした。

①の碑が少し厄介で、尾崎村内に所在すべき"平田森分校"(尾崎村立新屋小学校平田森分教場)が横山に所在していたことを示しています。横山には町居小学校も所在していた時期があり、1小字2小学校は結構謎です。

横山はここ

これを解き明かすには、村史/村誌を見るのが手っ取り早いのですが、町居村は史誌の類を出していません。困った。私的町居村誌を拵える必要があります。そこで生えることになったのが『横山学考』です。2023年末に開催されたC103へ向けて、調査はぼちぼち進みました。しかし「町居村のすがたを知る上で重要になる資料が、山口県文書館にしかない」という大きな問題が立ちはだかり、C103では準備号を頒布するにとどまりました。

山口県文書館で見ることができたもの

山口県文書館には、"梶山家670"として青森県南津軽郡旧尾崎村分村請願書』、"梶山家733"として青森県南津軽郡尾崎町*1分割不当処分之儀ニ付請願書』がそれぞれ所蔵されています。町居村域が南津軽郡尾崎村から竹館村へ分割・編入された際のワチャワチャを記したもので、これを見ないことには始まらないといっても過言ではないほど、ここ200年前後の町居を調べるにあたっては重要な資料です。本当かな?

恐怖!自動的に提供されるねぎ

1月26日、山口県が誇る激烈うどんチェーン「どんどん」でうどんの面倒を見、すっかりゴキゲンになった39MLは、うどんを啜る勢いそのままに山口県文書館を訪れました。梶山家文書は2通の封筒に入った状態で無事に手渡され、ようやく内容を確認することができました。

梶山家670は、事前に文書館のサイトで検索した通り『~分村請願書』の1点がいました。尾崎村の竹村精一らが時の衆議院議長楠本正隆に宛ててしたためた請願書で、明治28年3月のものです。

梶山家733には、やはり検索結果通りに『~分割不当処分之儀ニ付請願書』がいました。『~分村請願書』と同じく尾崎村の人間・今井長左衛門が出したもので、こちらも楠本正隆宛です。ただし、年月日に抜けがあり、明治28年というところまでしか分かりません。

なんと!おまけもありました。梶山家733の封筒には、表題の資料のほかに『青森縣南津輕郡尾崎村境界變更之始末書』『青森縣南津軽郡分割處分ニ係タル旧尾﨑村及竹舘村略圖』『旧津軽藩尾崎組拾七ヶ村沿革』も入っていたのです。とってもありがたい。

おかげで、藩政期の町居・尾崎の状態や、請願書が出された後の顛末まで一気に知ることができます。これで執筆はうまくいきそうです。

山口県文書館

準備号を頒布中です

2つ前の「『横山学考』では何を書きますか」を10倍詳しく書き、図表を少し付けた本を『横山学考 準備号』としてメロンブックスで頒布中です。

A5判・本文8ページで157円。これは『横山学考』が出た瞬間から100円引き券としての効力を持ちます*2から、実質57円です。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2277458

 

8月初旬の平川ねぷたまつりまでに『横山学考』を完成させたいところです。ひとまず準備号を読み、町居について少し詳しくなった状態でお待ちください🍥

*1:村を町と誤って所蔵されている

*2:対面頒布のみ