キュウリの血と肉

当たり前の話をしています

まぁよくなくもないかもしれないぞ

Twitterでオタクをフォローすると頻繁に「〇〇はいいぞ」という文句がTLに流れてきます。だいたいが自分の好みにピッときたものを他の人にも紹介しようとしてツイートするわけですが、頻繁に「〇〇はいいぞ」とツイートするオタク(以下、いいぞオタク)の「いいぞ」は本当に「いい」のか些か疑問です。

というのも、いいぞオタクのいいぞは「微妙だぞ」から「死ぬほどいいぞ」まで内包している可能性が高いのです。いいぞオタクの「いいぞ」はあまりにも軽率。いいのかよくないのか判断せず脳死状態で「いいぞ」しているいいぞオタクの多いこと多いこと…。

そして、いいぞオタクは「いいぞ」したものを次の「いいぞ」で忘れてしまいます。いいぞオタクが激増したのは「ガルパンはいいぞ」以降。一見して「ガルパンのオタクかな?」と思ったのも束の間、彼らは流浪の民であります。「けもフレ」に新たな「いいぞ」を見出したのです。「ガルパンはいいぞ」と「いいぞ」したいいぞオタクの何割が「けもフレはいいぞ」以降に「ガルパンはいいぞ」とツイートしていますか?これから先「けもフレ」を上回る作品が出てきたとき、何割が「けもフレはいいぞ」と叫び続けるでしょうか?

なんでもかんでも「いいぞ」して「いいぞ」したものをすぐに忘れてしまういいぞオタクの「いいぞ」より、普段「いいぞ」しないオタクが「いいぞ」した「いいぞ」を信じることが大切だと、私は考えています。