ひょーんもり゛のはすおん

言葉を外の世界に解き放つのが声帯と口腔の役割です。重要になってくるのは滑舌。滑舌が悪ければ50音の中で得意不得意が出てきてしまいますから、脳内で構成した文章を完全に再現するのが困難になります。

私はそんなにいい方でない人間でして、しばしば自分の発信したつもりの内容と相手が受信した内容が食い違ってしまいオヨヨ……となってしまいます。

苦手なのは「ば」「も」のように口を閉める音と「か」などの喉を殴る音です。下地「ゆ」のように口を開けたまま発音する音に寄ってしまうので、フガフガした文章が出来上がります(下地については2つ前の記事をご覧ください)。

 

試しに一番頭の段落の文章を発音通りにかな書きで表記してみましょう。

 

ォろゔぁをそろろせかいにときはらすのか゚せいたいとこうぬ゚うのやふわりです。じゅうようぬぬってくゆのはか゚すでつ。かすせすがわゆけえやンォじゅうおんのならでとく゚いふろぬいがでれいれしにゃいなすはら、ろうらいれンォうせいしだゔんしょうをかんでんにはいげんすうのがほんなんになっへしまいます。

 

……。

 

いま、スマホの録音機能を使って自分の声を聞いたのですが、普段骨に響いている声と全然違っていて気分が悪くなっているところです。こんな声で話していたとは……歩く公害では?というきもち。

話を本題に戻します。なんだこの怪文は…と思われた方もおられるでしょう。私も予想以上にひどくてびっくりしてます。

しかし、この文字列をそのまま発話しても何となく意味が通ってしまうのです。日本語が母語でなければ無理な芸当なのかもしれませんが、我々は変な日本語を見聞きした時に脳内で簡単に補完・変換することができるのだと思います。

 

表音文字の実際の発音を表すために表音文字を用いるのは大変面倒なことです。かといって、文字通り発音しているか?と聞かれれば大多数の人が首を傾げてしまうことでしょう。

文字通り発音しなくても意味が通る、逆に発音通り表記してぱっと見では意味不明な文章を発話してみると意味がなんとなくわかるというのは、書き言葉と話し言葉の間が一本線で繋がらないことを感じさせるような話であるような気がします。たとえ表音文字であっても、文中に落とし込まれれば多彩な発音の選択肢が生まれ、母音とイントネーションが合っていれば本来の発音通りでなくともなんとなくわかってしまうのです。 

 

母音とイントネーションで思い出したのですが、ピダハン語という言語があります。数や時間、色などの概念に関する語彙が異常に乏しく、他に類を見ない言語としてある程度有名ですよね。ピダハン語は母音が3つ、子音が7つとめちゃくちゃに音素の少ない言語であるため、鼻歌でも意味が通じると言われています。

先ほどの脳内補完の話と少し似ているような気がしませんか?韻律がちゃんとしていれば、なんとなく意味がわかるという話の極端な例がピダハン語であるのではないかと考えています。

日本語はピダハン語のように少ない音素・極めて簡便な文法で構成されているわけではないため、韻律だけでは何が何だか理解することができません。ただ、文章を発話した時に紡がれる韻律の情報は、受け取る側が脳内で文章を再構成する際に重要な手がかりとなっていることは間違いないでしょう。

 

滑舌が悪い人は、イントネーションの差を少し強めにつけると話が通じやすくなるのかもしれない、というお話でした。

 

 

 

 

 

 

おわりだよ~

 

 

 

 

 

 

 

みくまり